2008年10月10日

遊行の門 1

遊行の門(ゆぎょうのもん)作家五木寛之の最新刊(徳間書店)だが
人生の岐路に立たされた時、読む本だろう。
幼少の時から中国大陸で育ち、終戦を向かえ、引上げ船で日本に辿り着き、
やがて大分県の炭鉱地で少年期を過ごしている。
映画にもなった「青春の門」はその頃の人々の生きざまを見事に描いていた。
私の頭にこびりついていた「青春の門」だから「遊行の門」も
読んでみようと早速手に入れた。
この本によると古代のインドには、人生を四つに分ける思想があったそうだ。
学生期(がくしょうき)・・・世間に生きるすべを学び、体を鍛え、来るべき社会生活のために備える青少年の時期。
家住期(かじゅうき)・・・大人になって職に就き、結婚して一家を構えて子供を産み、育てる。やがて実生活をリタイアする。
林住期(りんじゅうき)・・・白秋の季節を迎える。職業や家庭や世間の付き合いから自由になりじっくりと己の人生を振り返って見る時期。
遊行期(ゆうぎょうき)・・・人生の締めくくりである死への道行きであると同時に幼い子供の子供の心に還っていく懐かしい時期。
以上四つを五木流に紐解かれている。
たとえば
人はオギャーと元気な産声をあげて誕生する。然し、その声は必ずしも今日から人間として生きていくぞ!という歓喜の声ではない。私達は自分の意志や努力とは関係なく、この世に押し出されてくるのである。何処の国に生まれるか、どんな両親の元に生まれるか、」どんな体質や、才能や、病気を抱えて産まれて来るのか。それは本人の知るところではない。私達は誰とも知れぬ運命の力によってこの世に送り出されてくるのだ。それをイヤだと拒む権利も力も赤ん坊にはない。あえて付け加えるなら私達は死を前提に誕生するのである。そして、この世はパラダイスではない。愚かしく滑稽なドタバタ芝居が演じられる円形の舞台であり、また弱肉強食の修羅の巷でもある。そんな未知の世界に自らの意志ではなく、送り出される赤ん坊の不安と恐怖の叫び声が、あの産声ではないのか・・・・とつづく。
http:www.kidsdream.co.jp/misumi/
遊行の門 1



Posted by おかげさま at 10:00│Comments(0)
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