2008年01月26日
儲け方いろいろ 3
川西が知れわたるようになったきっかけはプレハブメーカーの大和ハウスが能勢電鉄の畦野で「阪急北ネオポリス」・三菱系の進和不動産が「清和台」・西武の「多田グリーンハイツ」・その後東急の「湯山台と萩原台」などの大型団地が次々と出来て来る。こうなると県や市の対応も変わる。神奈川県から助役として迎え入れ開発業者に負担金や教育施設等の施設の寄付が義務付けられ整備されたいわゆる「川西方式」で団地が生まれた。ダムの完成で井戸給水は水道に、汲み取りや浄化槽トイレは水洗に、プロパンガスは都市ガスに切り替わっていった。それと共に中小の業者も質が向上した。井戸水が枯れて幾度か水を運んだ事が懐かしい。当時、専務だった小松さんが清和台の抽選販売に当り居住して初代自治会長を経てやがて市会議員となった。同時に退社され、社長の片腕が無くなったように私は思った。会社組織を当時西宮の「小堀住研」や「トウヨド建設」を目標にしていたのでいろいろ悩んでいたがのちに吸収されたり、潰れている事から現在子供兄弟ががひきついでいるので良かったと思う。
ミスミコーポレーション 上村亮尭
ミスミコーポレーション 上村亮尭

Posted by おかげさま at 17:18│Comments(0)