2008年04月29日

論語 和其光。同其塵

老子の「道」の中に「道」のことをこういう解釈をされた文章を見つけた。
「道」は闇や空気や水に例えられ「仮に道と呼ぶ」などと我々には捉えどころもない。「道」はどのようにして出来たかについてはどのように説明しようとしても既に「道」のなかにいる人にとって客観的に自分自身の存在理由など無理な話で、敢て説明しても理解が及ばない。このことを老子は「吾不知」と「不仁」をきめこんでにべもない。私達には到底達することが出来ない世界がこの宇宙に存在することを老子は示そうとする・・・。「和光同塵」は良く知られているが「道」の前では人間の日々の争い全てが相対的なものになる。人は一本の草が足元にあれば「雑草」と呼び、病気に効くと言えば「薬草」と呼ぶ。また、珍しい、美しい花を喜び、ありふれた花なら喜ばない。人は多くの知識を持ち、草よりも偉く、人と草とではとても同じ生命体などではなく、「人」のためなら「草花」など折っても当然だという。しかし、タンポポは風が吹くことを知っていて、それも春の東風に乗せて西に種を運ぶ。しかし、この「営み」を人間は自らの中に見失い、ひとりよがりの知識を貯めこんでは「万物の霊長」などと自惚れている。
老子はそのような姿を「すべての生命体」と等しくあるものとして「同塵」と言って戒めている。・・・とある。
天から授かったこの大自然を大切にしないと天罰がきっとあるのではないか。「利」の追求ばかりに気を取られて戦争や競争に明け暮れたり自然破壊をしたりしていると案外早くその日が来るのではないかと思う。

http://www.kidsdream.co.jp/misumi/
ホームページで過去のブログもご覧いただけます

論語 和其光。同其塵


Posted by おかげさま at 12:30│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
おかげさま
オーナーへメッセージ