2008年04月14日
孝経 番外
親子という問題は「人間」にとって大切な問題の一つである。それが人間と動物の違いである。
親があって子があると言う点は動物も同じだが、親子があるのは人間だけである。
動物は生まれたときは親子であるが、やがてそこには「雄と雌」が存在するだけで「親子」は存在しない。
人間は違う!人間は親子が本当に成立するところに人間の成就。真の人間形成がある。
換言すれば親が子を子が親を本当に心から考える親子の結びつきが出来ない限り、人間形成はありえない。
どうしたら親子の間に真の人間関係を成就できるかこれが問題だ。
夫婦や兄弟に於いても同様の問題である。
同時に家庭が成就するとということでなければならない。親と子では「孝」であり
夫婦にあっては「敬と愛」であり、兄弟においては「深い連帯」。これらは真のつながりといえるはずだ。
最近お互いが利益だけで繋がっているように見えるのは私だけだろうか。
http://www.kidsdream.co.jp/misumi/
親があって子があると言う点は動物も同じだが、親子があるのは人間だけである。
動物は生まれたときは親子であるが、やがてそこには「雄と雌」が存在するだけで「親子」は存在しない。
人間は違う!人間は親子が本当に成立するところに人間の成就。真の人間形成がある。
換言すれば親が子を子が親を本当に心から考える親子の結びつきが出来ない限り、人間形成はありえない。
どうしたら親子の間に真の人間関係を成就できるかこれが問題だ。
夫婦や兄弟に於いても同様の問題である。
同時に家庭が成就するとということでなければならない。親と子では「孝」であり
夫婦にあっては「敬と愛」であり、兄弟においては「深い連帯」。これらは真のつながりといえるはずだ。
最近お互いが利益だけで繋がっているように見えるのは私だけだろうか。
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Posted by おかげさま at
16:09
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2008年04月14日
孝経
孝経の「経」は縦の糸と言う意味だそうです。
織物をする際縦の糸は始めから織終わるまで終始一貫ずっと繋がっています。
その縦糸に横糸が入って織物は完成します。
ずっと初めから終わりまで不変の役目ということになります。
一方、「孝」は子が親を背負う姿です。
「聖治章」に書かれているとうり、私達は幼少の時は父母の膝下で、父母の情愛を受けて育ち
父母の真の精神を知りません。
やがて成長し、父母を面倒を見る立場になって始めて父母の偉大さがわかるようになります。
これは地球人の私達にも言えることで、一人で生きてはいけません。
「人」の字のように誰かのお世話になっています。
わたしは今現在が修行の場であるような気がします。
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織物をする際縦の糸は始めから織終わるまで終始一貫ずっと繋がっています。
その縦糸に横糸が入って織物は完成します。
ずっと初めから終わりまで不変の役目ということになります。
一方、「孝」は子が親を背負う姿です。
「聖治章」に書かれているとうり、私達は幼少の時は父母の膝下で、父母の情愛を受けて育ち
父母の真の精神を知りません。
やがて成長し、父母を面倒を見る立場になって始めて父母の偉大さがわかるようになります。
これは地球人の私達にも言えることで、一人で生きてはいけません。
「人」の字のように誰かのお世話になっています。
わたしは今現在が修行の場であるような気がします。
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Posted by おかげさま at
13:32
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