2008年10月18日

小さな実践

私達は生きてきた過程で、してはならないこと、したら恥ずかしいことを学んできました。わざわざ法律や規制にしばられるのではなく、ごく自然に体得してきたように思います。石川洋(いしかわひろし)さんのブログに「つもり違い10か条」という言葉があったのでご紹介します。
 1、高いつもりで低いのが教養
 2、低いつもりで高いのが気位
 3、深いつもりで浅いのが知識
 4、浅いつもりで深いのが欲望
 5、厚いつもりで薄いのが人情
 6、薄いつもりで厚いのが面皮
 7、強いつもりで弱いのが根性
 8、弱いつもりで強いのが自我
 9、多いつもりで少ないのが分別
10、少ないつもりで多いのが無駄
石田さんは昭和5年生まれで戦後一燈園の創始者・西田天香師に師事。
現在はご高齢にもかかわらず托鉢者として難民救済などの支援活動で元気に活躍なさっていらっしゃるということです。  続きを読む


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2008年10月17日

天照大御神

15日(水曜)のお休みを利用して、朝からお伊勢さん参りに出発した。昨晩とうってかわり快晴に恵まれ、絶好の参拝日和だった。今年も余すところ2か月半。おかげさまで仕事のほうも、順調に運んだお礼にお伺いした次第だ。
まづ、近鉄特急で「伊勢市駅」を下りて天照大神さまのお食事を司る衣食住の神さま豊受大御神(とううけのおおみかみ)さまが鎮座なさっている「外宮」でまずは参拝。そこからバスで天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまが鎮座なさっている「内宮」へお伺いさせていただいた。伊勢神宮は畏れ多くも我日本国の総氏神様であられるため、日本国中から毎日のように沢山の参拝客で賑わっている。天皇家を始め、政界、経済界の方々も参拝される訳だ。私は仕事の都合で日帰りの参拝だが、周辺には歴史館をはじめ、いろいろあるから一泊二日で行くといいのではないだろうか。2009年の正月の参拝を今から楽しみにしている。

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2008年10月16日

ぶら下がり人生

現在の社会を「躁」と「鬱」に分けたなら今は多分に鬱の時代だという。こう云う分け方がいい悪いは別にしてこの世に生きている限り、避けては通れない。この日本に生まれ育ち、天命に従い土に還るまで生きていかなければいけない。そして、この日本が持つ伝統的文化や先人が学んだ道徳心をこれからの日本を支える子供達にも引き継いでいかねばならない。拝金主義が大手を振ってまかり通る世の中にあっても、謙虚さや思いやりの心は絶対失ってはならないものだ。道徳心の失せた企業が社会から脱落を余儀なくされ、そこで真面目に働く人達にもしわ寄せが及びかねない。人は放っておけば、卑しい根性になる。己に厳しくなるように努める気概が欠けるようでは、生きている価値さえないのではないか。あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロ背骨の無いまるでクラゲのような生き方もあろうが、決して一人では生きていけないのだから、せめて人に最小限迷惑をかけない人生を送りたいものだ。私はお天道様はいつもご覧になっていると思って生きている。この世の中、捨てたもんじゃない。苦があれば楽もあるのだから。ありがとう。おかげさま。感謝します。
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2008年10月15日

毎日jp~掃除に学ぶ

イエローハット相談役鍵山秀三郎が提唱する「人間力を磨く ・掃除に学ぶ」運動が今や沖縄まで及んでいることを記事で知らされた。こう云う内容だ。10月4日市立コザ中学校(米須良成校長)の3年生221人が校内の全トイレを一斉に掃除をしたとの事だ。その訳は3学年のPTAが、便器を徹底的に磨き上げることで生徒に「謙虚さ」や「気付きの心」を育んでもらおうと企画したもので、これには沖縄掃除に学ぶ会 (宮崎通冶代表世話人)の会員さんが指導にあったそうだ。私の経験からいうと「言うは易し、行いは難たし」なのだ。店舗の男子トイレは用を足した後自動的あるいは手動で洗浄水が流れるのだが安心してほうっておくと排水口に小便の成分がオレンジ色に石化して詰まってしまい、外に溢れだすことがある。トイレは自分の排泄物は臭くても我慢が出来る訳だが、他人の排泄物は気になるところだろう。昔人間の私は汲取り式だったので、ライフスタイルを合わせる事ができるのだが、水洗化で育った人には辛いものかもしれない。
さて、屋内の掃除に掃除機やホウキなどが必要な通り、トイレ掃除にはバケツやスポンジ、ねじ回しなど「七つ道具」が必要なのだ。今回これらの道具の総ては学ぶ会の会員さんがご用意なさったらしい。「汚い所からまず先に、勇気を持ってやること」
など会員のアドバイスを受けた後、生徒達は黙々と便器磨きに挑戦した。大便器磨きに挑戦した島知也君は「思ったより綺麗に汚れが落ちたので、気持ちが善かった」と満足げに話していた。と言った記事だ(琉球日報)
私の小さな実践に比べるとなんとスバラシイことではないか。羞恥心に欠け、道徳心に欠ける大人にならないように利他の心を持ち大きく育って欲しいと思う。孟子のことばに「人、なさざる有り。しかる後を以ってなすあるべし其のなさざるところを為す事無く、その欲せざるところを欲する事なし。かくのごときのみ」人には絶対にしてはならないことがある。そのことを十分理解することだ。己の欲求だけでは世の中は渡れないのだから。
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2008年10月14日

今朝はドブ掃除

今日は朝からあいにくの雨だった。阪急川西能勢口腋を出ると立体歩道橋上にミニ広場があるのだが、ゴミ拾い場として私が毎朝期待している箇所だが、マンガ本一冊のみで肩透かしをくらった。JR川西池田駅までタバコのポイ捨ても雨のせいか僅かだった。事務所の南側を並行してドブ川があるのだが、ここもポイ捨てのスポットなのだ。傘をさしながら作業した。捨てる側の人間はゴミ箱が無いとか、タバコの吸殻入れが無いとかゴタクを云うかもしれないが、それに対する答えはシンプルだ。ゴミは持ち帰ればいいし、タバコの吸殻は携帯灰皿がある。論語に「恥の人に於けるや大なり。機変の巧をなす者は、恥を用うるところなし、人にしかざることを恥ずんば、なんぞ人にしくことあらん」と有る。人間、恥を知ると言うことは重要なことで、その場、その場を誤魔化してぜんぜん恥とも思わない。己を人と比較してそれを感じないようでは駄目だということだろう。私達はイヌやネコ、カラスではない。万物の霊長なのだから。
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2008年10月14日

渡部昇一講演会

10月10日尼崎アルカイックホテルでTKC近畿兵庫会秋季大学が開催され、尼崎商工会議所のメンバーでもある岸田税理士さんからの無料招待を受けたので参加させていただいた。この日の渡部昇一先生講演のテーマは「日本人の品格」だった。私が愛読している「月刊致知」で連載中の「歴史の教訓」をなぞっておられたように思うが先生の歯に衣を着せぬ歴史観に私は毎回心で拍手していた。今回ご本人と真近で拝聴させていただけた事はこの上もない喜びだ。日本がなぜ戦争に向かわなければならなかったのかと言う動機。後にむちゃくちゃな東京裁判でなにが行われたか。国民の歴史認識を歪めたのは誰かと言うことをのべられた。現在のようにオベンチャラ外交にヘキエキする日本人の一人として心が洗われた思いだ。
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2008年10月13日

自分を立て直す

佐久やすしさんの言葉を借りると
元来、人は悪い意識を持てば人間は悪くなると言う事実を認めているのに、善い意識を持てば人間も善くなるという事実に懐疑的になっていると言う。孟子曰く、志は気の師(すい)なり。気は体の充なり。それ志(こころざし)至り、気次ぐ。ゆえに曰く、その志を持し、その気を暴事勿れ。人が何かをしたいという意志を持てばそれに似合った気持ちが動き出し、肉体もそれに連動するものだ。だから、「正しい意志」を持つ事が大切だ。決して悪い感情に従って暴走するなと言うが全く同感できる。人間オギャーと生まれたと同時に人の手を借り、育てられ、教育を受け、やがて成人となり仕事を見つけ、伴侶と家庭を持ち、やがて土に還るまで道のりを歩き続ける。人の手を借りずには生きていられないのだ。世の中は皆集団で生きているから一定のルールがある。それがイヤなら山奥で仙人暮らしをするしかない。
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2008年10月12日

生き方を問い直す

いま、混迷を極め、先行きの見えない「ウツ」の時代を生きている。しかし、私が幼少の頃に比べれば豊か過ぎるほどなのに心は満たされず、食・衣・住などはおかげで足りているにもかかわらず、仁義礼智が乱れ、堕落の底へ向かおうとしているのではないかと思う。道徳の乱れは個に始まり国へ及ぶ。決して国から個へ及ぶものではない。
孟子曰く、人の禽獣(どうぶつ)と異なる所以(ゆえん)のものは、ほとんど稀なり、仁義によって行うか、仁義を行うにあらざるかなり。人が動物と違うところは「わずか」だ。思いやりと正義とを基準に行動出来るのか、出来ないかだ。とある。
私が川西のターミナルを連結する立体道路でゴミの収集を始めたきっかけはイエローハット相談役の鍵山さんの著書を読み、震えるほどの感動を覚えたからだ。「小さな事が出来ずして、なんで大きな事が出来ますか?」との問に鍵山さんの胸をお借りする事にした。友達にこの事を話すと恥ずかしい事は無いかと云われたが、判って見過ごすことの方がもっとも恥ずかしい事だと云ってある。朝晩往復する僅かな時間を利用しての自分磨きの修行だが仕事がはかどり、おかげで「運」も良くなり、毎日が楽しい。
ありがとう。かんしゃします。おかげさま。
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2008年10月11日

遊行の門 2

作家五木寛之は著書「遊行の門」(徳間書店) のなかほどに「すべては必ず変わる」というサブタイトルの箇所がじつにタイムリーな内容だ。
それによると18世紀から20世紀まで世界の支配構造は、確固として永続してきた。文明先進国と呼ばれる列強国の優位は、永遠に続くかのように思われてきた。しかし、今明らかに大きな変動の兆しが見えてきたように思う。欧米先進国の優位も必ず変わらざるをえない。兆しはまずアメリカから現実のものとなるだろう。ヨーロッパも変わる。アジアも我日本も変わる。ソ連型の社会主義に勝利して、永遠の構造であるかのごとく錯覚を人々に与えた。だが、それも変わる。この世に永遠に続くものなどない。・・・とある。
1929年世界大恐慌があったが、またしてもそのような事態が訪れているようだ。しかし、私達庶民にはどうすることもできない。
だからといって己の面を伏せて歩いても仕方がない。世のありさまを歎き、怒り、世間に背を向けて生きる方法もあるだろう。しかし、今を楽しむ生き方もあるだろう。人は一人では生きてはいけない。誰かのお世話をうける。そう思えば自ずと感謝の気持ちが湧くはずだ。せめて今日一日笑顔で「うれしい、たのしい、しあわせ、ありがとう」といって過ごしたい。
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2008年10月10日

遊行の門 1

遊行の門(ゆぎょうのもん)作家五木寛之の最新刊(徳間書店)だが
人生の岐路に立たされた時、読む本だろう。
幼少の時から中国大陸で育ち、終戦を向かえ、引上げ船で日本に辿り着き、
やがて大分県の炭鉱地で少年期を過ごしている。
映画にもなった「青春の門」はその頃の人々の生きざまを見事に描いていた。
私の頭にこびりついていた「青春の門」だから「遊行の門」も
読んでみようと早速手に入れた。
この本によると古代のインドには、人生を四つに分ける思想があったそうだ。
学生期(がくしょうき)・・・世間に生きるすべを学び、体を鍛え、来るべき社会生活のために備える青少年の時期。
家住期(かじゅうき)・・・大人になって職に就き、結婚して一家を構えて子供を産み、育てる。やがて実生活をリタイアする。
林住期(りんじゅうき)・・・白秋の季節を迎える。職業や家庭や世間の付き合いから自由になりじっくりと己の人生を振り返って見る時期。
遊行期(ゆうぎょうき)・・・人生の締めくくりである死への道行きであると同時に幼い子供の子供の心に還っていく懐かしい時期。
以上四つを五木流に紐解かれている。
たとえば
人はオギャーと元気な産声をあげて誕生する。然し、その声は必ずしも今日から人間として生きていくぞ!という歓喜の声ではない。私達は自分の意志や努力とは関係なく、この世に押し出されてくるのである。何処の国に生まれるか、どんな両親の元に生まれるか、」どんな体質や、才能や、病気を抱えて産まれて来るのか。それは本人の知るところではない。私達は誰とも知れぬ運命の力によってこの世に送り出されてくるのだ。それをイヤだと拒む権利も力も赤ん坊にはない。あえて付け加えるなら私達は死を前提に誕生するのである。そして、この世はパラダイスではない。愚かしく滑稽なドタバタ芝居が演じられる円形の舞台であり、また弱肉強食の修羅の巷でもある。そんな未知の世界に自らの意志ではなく、送り出される赤ん坊の不安と恐怖の叫び声が、あの産声ではないのか・・・・とつづく。
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2008年10月09日

老子に学ぶ「生き方」

自然派の老子は生き方について
水に喩える。

水は丸い器に入ると丸くなるし、
四角い器に入ると四角になる。
どんな形のにも逆らったりはしない。
柔軟で謙虚だ。

水はいろんな物やところに
利益と恩恵を与えてくれる。
この世で水無くしては生きる事が出来ない。
これほど偉大な存在でありながら
水は決して誇らないし、傲慢さも無い。

しずくのような水は小川に注ぎ、
やがては支流に集まり、大河から大海に流れ、
偉大な存在となる。
しかし、見返りを求めたりはしない。

人の生き方もこれに見習いなさいという。
人に物を与えても仁愛の心で
報いを求めてはいけない
そして
言った事は必ず実行して、
誠(義)を尽くさなければいけない。

報いを求める心は相手と衝突したり
反目したりするだけだ。

水は争わないから自由自在だ。
「与うるは善く仁、言は善く信」
と老子はいう。

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2008年10月07日

人生の修行の場

論語「孝経」では孝経の「経」は縦糸。
織物を紡ぐときに縦糸は
始めから終わりまで終始一貫つながっている。
その縦糸に横糸が入って織物は完成している。
ずっと終始一貫、不変の役目だと説いています。

「孝経」の「孝」は子が親を背負っている姿だといいます。
私が幼少の時は親の情愛をいっぱい受けて育ち、
その頃は両親の本当の精神を知る芳もありません。
父母の面倒を見る立場になって、
はじめて両親の偉大さが解ります。

誰だって一人では生きていく事は不可能で、
誰かのお世話にならなければなりません。
「人」の文字があらわすように
持ちつ持たれつ支えあって
死ぬまで修行を続けたいと思います。

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2008年10月06日

小さな実践

10月1日から始まった阪急電鉄「川西能勢口駅」から、
JR「川西池田駅」間の立体歩道橋上の
タバコや空き缶などのポイ捨てに
川西市が立ち上がり、禁止区域になった。
市の職員さんも早朝から10名ほど各所に張り付いている。
ほんとにごくろうさんです。

しかし
一度は染み付いたクセは一朝一夕には治らない。
多分、根絶するまでは多くの日数を要するに違いない。
これでもか。これでもかと根比べになるだろう。

私は、通勤の往復で利用させてもらっているため
乗降のわずかな時間をゴミ収集に使うから
完全には処理できない事もある。
同じ人間として申し訳ない。

私がこんな事を始めたきっかけは
イエローハットの鍵山秀三郎さんや小林正観さんの著書に出会い
自らの魂を磨く事と世の中に感謝する。
小さなことが出来ずしてなんで大きなことが出来るかと
気づいたからだ。

根絶したら私の修養の場を他へ移すことになるが
マア、当分は無いだろう。
イヌのオシッコと同じでなおらない。
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2008年10月06日

本当の幸せとは

論語 老子十九章
私を少なくし、欲を寡(すくな)くせよ。また
二十二章には少なければ則(すなわち)得る。
と教えている。

自分の欲望を少なくすることが人生哲学の要点だとは云え
小人(しょうじん)の中でも小者の私は欲望に
これでもか、これでもかと煽動される。
スポーツなら訓練を積み上げ、目標にトライするし
企業であれば発展のために日々目標の向上を計る。
しかし、一個人の営みに於いては
あんまり欲張り過ぎると
疲れ果て、やがて潰れてしまう。
そこで老子は
欲望の少ない人は
物を得る楽しみを持っていると諭している。
禅の極致は吾・唯・足・知(われ、ただ、足るを知る)とあるらしい。
不足ばっかり云う人は決して幸せになれないし
自分が幸せの極致だと思えばその瞬間から「幸せ」になる。
小林正観さんは 息を止めたら苦しいでしょう。
だから呼吸できることだけでも幸せと思いなさいと云う。
息が止まったら権力の座にいても、大富豪でも死んでしまう。
息が出来ることに感謝。ありがとう。おかげさま。
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2008年10月05日

「き・く・あ」の実践

小林正観さんの新刊本で「き・く・あの実践」というタイトルが目を引いた。
なんのこと?
こういう事だそうだ。
き・・・競わない。
く・・・比べない。
あ・・・争わない。
おおまかにこの三つを実践することで、
生きる事がラクになりますよと云う。

人間は本来、心の中に七つの要素を持っている。
1、明るさ 2、暖かさ 3、優しさ 4、自分への厳しさ
5、心の奥深さ 6、謙虚さ 7、感謝の心

これらの要素は神が私達をこの世に送り出したとき
あらかじめインプットしてくれたもので、
すなわち、コンピューターでいえば、ハードディスクに
始めからインストールされている部分です。

しかし、現実の私達は、外からの刺激も加わって、
「自我」というソフトウエアー
(欲望・執着・不平不満・怒りなど)
を知らず知らずにハードディスクにインストールしてしまい、
本来の七つの要素を覆い隠すかのように動き回っている。
それなら、「自我」というソフトウエアーを「削除」してみては?
そうすれば本来の姿に戻れるかもしれないと云う。
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2008年10月04日

雑草の生き方

雑草は取っても、取ってもすぐに生えてくる。
例えばススキ。地上1メートルの高さのススキを刈り取ると
次に生えるときは三分の一ぐらいの高さで生えてくる。
その次に刈り取ると高さが30センチぐらいになる。

この生命力はなんだろう。
雑草は人や車が通る道端で
こじんまりとしながら、花が咲き、やがて種子をつける。
なんという生命力だ。

老子のことばに
人は一つの草をそれが足元にあれば雑草と呼び
遠くにあれば山野草と呼び、
人の病気に効けば薬草と呼ぶが
珍しい花なら喜び
ありふれた花なら、喜ばない。

人は多くの知識を持ち、草よりずっと偉く
人と草とはとてもおなじ生命体等ではなく、
比べものにはならない。
人のためなら花等をへし折っても
当然だと思っているだろう。
自然のいとなみを、人は自らの中に見失い。
ひとりよがりの知識を溜め込んで
万物の霊長などと自惚れる。
そのような人間を同塵(チリとおんなじ)だと戒める。

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2008年10月03日

念 生。

私にとっては、毎朝目を覚ました瞬間が
あたらしい人生の始まりであり
昨日より誕生した日までが過去だと考える。
お釈迦様の説法にも刹那とは瞬間だといわれる。

人生は二度なし。
だから与えられた命を大切に生きる。
職種を問わず、仕事を持って日々精進する人は
若さに溢れている。

これは多分頭脳を研ぎ澄ませているからかもしれない。
神経は神の道と書くがその通りだ。
クヨクヨしないことと
体力もそうに違いない。

一番安くつくのは歩くこと、足腰を鍛え、老化を防ぐ
お金が有り余っている人は、
スポーツジム通いや好きなスポーツに汗を流すのもいいだろう。
暇を持余すほど辛いものは無い。
生きる屍だ。趣味を持つ事も良いだろう。

それから、幸、不幸は自分の考え方であり、人が判断するものではない。
だから入れ替わる事がある。
明日から未来だが、私のような小人(しょうじん)には予測はつかない。
今+心で「念」今を大切に生きる事が与えられた使命だ。
今日お会いする人、今日の仕事を大切にすることを心掛ける。
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2008年10月02日

過ちを犯すこと

私達人間はたまに 過ちを犯す事がある。
ワタミ社長 渡邊美樹が書いた「使う論語」では
これに対し、こう述べている。
子夏日く、小人の過や、必ず分(かぎ)る。(子張)
孔子の弟子である子夏はいった。
くだらない人間は(私見 この訳はきつい)
過ちを犯すと、かならず言い訳をする。
これを一言で云うと「言い訳をするな」
と云うことだ。
営業成績が悪いのは
誠意と知識が足りないから。
試験の結果が悪かったのは
自分の努力が足りなかったから。
遅刻したのは
気持ちが弛んでいるから。
フラれたのは
自分に魅力が足りなかったから。
子供が云うことを聞かないのは
家庭を顧みなかったから。
など、どんな言い訳を並べ立てようと
糊塗しようと、真実は変わらない。
周りに原因を求めている限り
成長もしないし、魅力的にもなれないでしょう。
と云う。
自分の気分に任せて叱ることがありますが
これでは大人(たいじん)にはなれないと述べている。
ウチではその人を慰め、いいところを褒めています。
怒鳴り散らすことは相手が萎縮するだけ。
本人が気付くまで褒めて、褒めて褒め続けます。
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2008年10月01日

老子の教え 2

道可道非常道。 名可名非常名。
無名天地之始。 有名萬物之母。
故常無欲以観其激。

比両者。 同出而異名。
同謂之玄。 玄之又玄。
衆妙之門。

老子の教え 「第一章」だが
私はこう理解する。
人が歩む道は、我々人間界では到底理解しがたいものだ。
言葉によって説明も証明もできないものだ
道は生命の根源であり、命そのもの。
天道はすべてのものを生み、
あらゆる法則を人の生命に働くかけ、
そのすべてを握っている。
だからこの道を信じているなら
調和の世界を生きることができる。
果てしない欲に生きるなら
混乱と悲惨な世界に生きる事になる。  続きを読む


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2008年09月30日

間居の過ごし方

論語「大学」に「小人(しょうじん)間居(かんきょ)して不善を為し、至らざる所なし」とある。
間居とは暇があるということ。
小人は暇を持余していると何をするか判らんという。
私も小人の部類であるからそうかいなと思う。
論語ではかならず君子と小人とを比較して語る。
君子は仁・義・礼など兼ね備えた人。
社会的にリーダーたる人。
小人はその反対だと解釈する。

孔子が活躍した頃から戒める事が有ったんだ。
私はクリスチャンではないのだが
安息日は7日に1回と決めている。
みんなは連休が楽しみらしいが
私は読書や掃除する事を決めている。

クリスチャンは日曜礼拝に家族で出向いて
宣教師の講話と賛美歌を歌って六日間を反省する。
早朝から競馬や競輪場、パチンコ屋に足を運ばない。

お釈迦様は苦を八苦に分けて説いていらっしゃる。
この最初の四苦の中にある
貧乏・病気・冷遇・煩わしさと暇の四つに耐えることだ
と説いていらっしゃる。
私達人間にとっては
仕事を楽しみとする事が小人の務めではないだろうか。
私は金を使うことに抵抗があるから
せいぜい書物を買う事位に止めている。
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