2008年05月31日

母取其愛、3

私の育った所は小さな村で海まで遠く、川幅10メートルもないところで泳いだり、魚取りや釣りをして遊んだ。母は私に泳ぎを教える為に、下着姿でクロールや平泳ぎを教えてくれた。魚取りの網は母が漁師さんが編むようにテグスで上手につくり、完成すると、近所の子どもを引き連れて大きな網とブリキで出来たバケツを持って行く姿はまるでガキ大将のようだった。
そのころ、ウチでは鶏を10羽と豚を5匹飼っていた。飼料は近所で回収した残飯やオカラ、ヌカで今のように配合飼料などなかった。みんなタダ。糞は肥料になるし、ウチでは馬は飼っていなかったので農家に分けて頂いていた。これもタダ。
これが本当の「無農薬野菜」だ。おやつはトマトやきゅうり、スイカなど、さつま芋と里芋は蒸しておくと、いつでも食べられた。
砂糖はそのころは貴重品だったが、イナゴを採って来てフライパンで炒ったところに砂糖をかけて食べたが美味しいとは思わなかった。
つづく。

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Posted by おかげさま at 15:41Comments(0)

2008年05月31日

母取其愛。2

私は一人っ子で母との二人暮しだった。オヤジさんは仕事一筋の人で15才から都会で働き、定年を迎えるまでその会社に勤めた。年に2度、お盆と正月だけ休暇で帰省した。小学生時代はよくいじめられた。しかし回数がふえるとわたしも防御の知恵がつき、先手必勝で腕力で叶わない相手にはコンパスや小刀(肥後の守)、ノコギリなどで立ち向かうようになり、職員室によく呼ばれた。母はあんまり文句は言わなかった。私がメソメソすることを逆に嫌った。その代わりに原因が私に有ったらビンタをくらったりしたものだ。「おまえが悪い事だと判ればいい」「ごめんなさい」の会話で終わった。父親の変わりもしてくれたのだ。
つづく。

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Posted by おかげさま at 14:38Comments(0)

2008年05月31日

母取其愛。1

私の母親は土佐の生まれで、むかし豊臣秀吉公に仕えた蜂須賀小六の家臣益田家の血をひいている。大柄でモンペに長靴姿しか印象に無い。なにしろ我が家には近所の青年達が母の将棋の相手に呼ばれたり、嫁入り前の女性には裁縫を教えていた。私の将棋の腕に見込みがないと思ったのか、将棋倒し、挟み将棋程度しか教えてくれなかった。
タバコを吸うことを田舎ではタバコを飲むといったがよく飲んだ。お酒は一滴も飲めなかった。口ずさむ唄はなぜか賛美歌だった。
つづく。

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Posted by おかげさま at 13:11Comments(0)
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