2008年07月04日
ボロは着てても
仏教思想研究家のひろさちやさんが論語を解説している本はおもしろい。なかでも特に面白いのが次のようなものです。
子貢(孔子の弟子)問うて日く、一言にして以って終身これを行うべき者ありや。(ただ一言で、しかも一生涯これを行うべき名言は有りませんか?)
孔子日く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。(すなわち、それは「恕」である。自分のして欲しくない事は他人にするな。)恕の意味は自分を思うのと同様に相手を思いやる心。思いやりの心。許す心。
これと反対にイエスキリストは「なにごとも人々から自分自身がして欲しいと望むことは人々にもそのとおりにしてあげなさい(マタイ伝)
私の持っている心の物差しと他人の心の物差しは互いに違いが生じます。よかれと思ってとった行動が迷惑な事ってあります。
顔で笑って、心は怒っています。たとえばわたしは貧乏暮らしですが可愛そうだとか、気の毒だとか爪の先程も思われたくはありません。同郷の水前寺清子の唄にもある「ボロは着ててもこころは錦。どんな花より綺麗だぜ」で暮らしているのですから。
http://www.kidsdream.co.jp/misumi/
子貢(孔子の弟子)問うて日く、一言にして以って終身これを行うべき者ありや。(ただ一言で、しかも一生涯これを行うべき名言は有りませんか?)
孔子日く、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。(すなわち、それは「恕」である。自分のして欲しくない事は他人にするな。)恕の意味は自分を思うのと同様に相手を思いやる心。思いやりの心。許す心。
これと反対にイエスキリストは「なにごとも人々から自分自身がして欲しいと望むことは人々にもそのとおりにしてあげなさい(マタイ伝)
私の持っている心の物差しと他人の心の物差しは互いに違いが生じます。よかれと思ってとった行動が迷惑な事ってあります。
顔で笑って、心は怒っています。たとえばわたしは貧乏暮らしですが可愛そうだとか、気の毒だとか爪の先程も思われたくはありません。同郷の水前寺清子の唄にもある「ボロは着ててもこころは錦。どんな花より綺麗だぜ」で暮らしているのですから。
http://www.kidsdream.co.jp/misumi/

Posted by おかげさま at
17:58
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