2008年03月29日

どうなる 日本「尼崎」

現在アラブ産油国がオイルマネーで世界中の企業を買収しつつあるがインドや中国も参戦している。アメリカは生産立国から貿易立国そして投資立国・金融立国へと変化しているが日本国内ではいまだにトヨタやホンダなどの車産業がリードしているようでは駄目な気がする。世界で注目されてきたアメリカシリコンバレーはIT産業からソーラーパネルに変身しつつあるそうだ。
地球規模の環境破壊と特に石油を輸入に頼っているわが国はいちはやくソーラーパネル産業に国を挙げて支援することが大切だ。シャープが現在は世界一・京セラが世界第三位だが日本の車や工場・ビル・マンション等住居系に至るまでソーラー発電となれば国民は多大な恩恵を受けることになる。産油国のいいなりになることはない。阪神工業地帯とくに尼崎の経営者も世界に「日本のシリコンバレーアマガサキ」と呼ばれるようになってほしい。

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2008年03月29日

稲盛和夫 京セラ名誉会長のことば

某雑誌に寄稿されている「徳に基づき、組織を治める」の中の文章を紹介しよう。
組織をまとめていくには「力」で治めていく方法と、「徳」で治める方法があります。換言すれば、集団の統治には、徳に基づく「王道と力に基づく「覇道」という二通りの方法があるのです。・・・中国革命の父「孫文」が日本(神戸)でおこなった講演の一部を紹介している。このなかで「西洋の物質文明は科学の文明であり、武力の文明となってアジアを圧迫している。これは中国で古来言われている「覇道」の文明であり、東洋にはそれより優れた「王道」の文化がある。王道の文化の本質は「道徳」「仁義」である。
あなたがた日本民族は欧米の「覇道の文化を取りいれている」と同時にアジアの「王道文化の本質も持っている」。日本がこれからのち世界文化の前途に対して西洋の「覇道の番犬」になるのか、東洋の「盾と城」になるのか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっている。・・・残念ながら日本は孫文の忠告に耳を貸さず「覇道」を突き進み富国強兵の道をとりつづけついには1945年敗戦に至るのです。「王道」とは「徳」に基づいた国家政策のことであり「徳」とは中国では古来「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表されていました。「仁」とは他を慈しむこと礼とは礼節をわきまえていることです。また、この「仁」「義」「礼」の三つを備えた人を「徳のある人」と呼んでいました。つまり、「徳で治める」とは、高邁な人間性で集団を統治して行くことを意味するのです。とあるがつまり、大集団でなくとも個々にも当然あてはまると思うので紹介した。  続きを読む


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2008年03月28日

論語

堅い話で申し訳ありませんが現在、多くの小学校や中学校が国際理解の一環であるがごとく英語教育に熱心になっているが古典を通じてしっかりした日本語を身に付けさせた方がいいのではないかと思うようになった。
現代日本社会は日本人としての誇りと気品が消え失せかけていると感じるのは私だけだろうか。私の幼少時代は終戦後で簡単な国語教育だった。いままで論語を読んで理解したいと思わなかったのだが最近読んでみたくなったので勉強始めたところだ。
「命を知らざれば、以って君子為ること無し」 
これは宇宙の命ずるところがわからければ徳ある立派な人にはなれないということらしい。天の意志に従い生きることを楽しみ地上での命を完遂することが私の使命だと思う。

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2008年03月27日

ひとりごと 7

笑門来福 ご存知の通り「しょうもんらいふく」と読む。商売人、とくに接客業には絶対不可欠なテーマだ。事務系や工場での技術系の方にはあんまり関係ないのだが・・・職場以外、家庭などでおっこた嫌なことを現場に持ち込まれてはたまったものではない。ましてやお客さんから売上というお金をいただく「あきんど」は笑顔は絶やさないことは必須条件なのだ。
改善できないひとはあきんどには不向きと思う。改善したいと思うなら一ついい方法がある。朝起きたら洗面所に鏡があると思うが、歯磨きの前に絶品の笑顔づくりの練習をして出勤することだ。午前中に笑顔パワーが切れかけたらトイレの鏡や手鏡で再度練習して職場に出ると良い。仕事を終了して職場を出たらぶっちようづらしようが目じりをつりあげようが会社やお店、同僚には関係がない。しかし昔の人の「笑う門には福来たる」と言ったことばは身が引き締まるおもいだ。それと前号の「天国ことば」が重要だ。  


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2008年03月26日

ひとりごと 6

わたしが毎日心がけてつかう天国ことば
1、ついている。
2、うれしい。
3、たのしい。
4、感謝します。
5、しあわせ。
7、ありがとう。
8、ゆるします。
わたしが毎日使わないように心がけている地獄ことば
1、ついてない。
2、不平不満。
3、グチや泣き言。
4、悪口や文句。
5、心配ごと。
6、許さない。

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2008年03月25日

ひとりごと 5

最近テレビや新聞等で官僚の天下りが連日のようにとりあげられている。現在までこの仕組みがあったにも拘らず今頃になって一斉に問題視しているのだがこれらはどのようにしたら丸く収められるのだろうか。さて、一方民間人の経営者はどうだろう。昨年から今年にかけていろんな偽装が発覚し、幾多の問題がヤリ玉にあがりましたがこれはほんの一握りではと感じられる。企業を発展させて行こうとするなら、まずは経営者が人間としての器。言い換えれば自らの人間性、哲学、考え方それに人格を絶えず向上させていくように努力を積み重ねていく姿勢が求められると考える。少しばかり成功を収めただけで謙虚さを失い傲慢に振る舞い、私利私欲の追求に走る事でせっかく手にしたすべてのものを失う経営者が次から次へと社会から退場させられています。政界、官僚はさておき、民間人の経営はほとんどがトップの器で決まる。だから経営者の人間性、人としての器の大きさにしか企業はならないものと考えられる。たとえば小さな企業がだんだん大きくなるにつれ舵取りができなくなり、潰れていくのを見てきている。権力によって人間を管理し、または金銭で人間の欲望をそそるような方法では一時的には成功を収めたとしてもいつの日か人心の離反を招き、かならず破滅に向かって行くと思われます。働いてくださる人が誇りを持てる会社づくりに徹していればかならず永続できる光輝ある会社やお店になると思われる。続きを読む


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2008年03月23日

ひとりごと 4

土地買収
土地買収はおおかた事業主の意向に沿って予算やプランにより着手する。建築物の種類や目的によって小規模なものからたとえば霊園やゴルフ場、大型マンションに大型ビルのように大規模のものまである。
大規模開発用の買収は1年以上かかることが多く、それも土地の所有者が複数絡み交渉に手間隙かかることが多い。夜討ち朝駆けや日参も日常茶飯事だ。手土産で難しい場合は接待攻勢も必要だ。
土地所有者が時には30名から40名といった場合もあった。そのうち1名でもテコでも応じてもらえなければ前に進まないから大変な労力も必要だ。
マスタープランに沿ってもろもろの許可を取り完成に至るまで複数年かかる。その点元住居跡や店舗や工場跡は完璧な調査などができれば判断もしやすくさほど経費がかからないし労力も必要としない。
若い頃に一度だけ開発申請で遺跡に引っかかりおおごとになったことがあった。考古学者や掘削のアルバイトなどで調査にかかり埋め戻して建築するまで数年かかったがそれらの経費は行政が面倒見てくれるのではなく全部土地を引き取った業者負担だ。金銀財宝がでてきたためしはない。これならいい方で重要文化財の場合は未来永劫売買ができない。取りかかる前に教育委員会を通じて下調べをするべきだ。工場跡地の地下汚染物質調査や地震の断層調査も論外ではない。
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2008年03月22日

ひとりごと 3

グラフィックデザイナーの掛け出しの頃は大阪の南に広告代理店、舞台装置、彫金、陶芸、ファッション等々のクリエイターと付き合うことが多かった。おかげでメンズファッション界の大御所VANの石津謙介社長や歌手アイジョージが唄ったガラスのジョニーやフランク永井が唄った大阪ロマンの作詞家石浜恒夫先生ともめぐり合えた。道頓堀にジャズ喫茶ナンバ一番があったころだ。
現在はコンピューターグラフィックの時代で簡単に何枚も作品を作れるのだが私の時はポスターカラーで1点1点描かなければならなっかったので楽しい反面、時間的な苦労も多かった。クライアントによっては10点ぐらい描いた覚えがある。
おかげで採用された印刷物のスクラップブックが後で不動産会社の企画室長に採用で生きることになった。


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2008年03月21日

ひとりごと 2

わたしは昨年の秋ごろから特定非営利法人ワールドビジョン・ジャパンの愛と命のパン。ラブ・ロープの募金活動に参加している。はじめに食パンのデッカイ形の募金箱が送られてきたときは大きさに驚いた。しかし、日を負うごとになれて、二回目の貯金にむかっている。終戦まもない日本も荒れ果てた街に孤児が沢山出来て、食べるのもやっとこさの時代があった。私の知らない世界中のどこかで現在も飢えている子供が多くいると聞かされ、少しでもお役に立ってくれればと思う。ちなみに親善大使は歌手のジュディ・オングさんだ。

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2008年03月21日

ひとりごと 1

近年、コンプライアンス(法令順守)しないがために、消滅あるいは存亡の危機に立たされる企業が相次いでいます。
コンプライアンスは時代の趨勢です。法令を守らなければ「損害賠償の責任」を負い「行政処分が下され」「責任を問われ」
一般社会からの信用を失いますし、事業の根幹が揺るがされることにもつながりかねません。
すべての事業活動は云うまでもなく<法令を守る>ことを前提としてその存在が認められているのです。
個人であっても会社であっても法令を遵守しない事業活動自体が許されません。特に私達宅地建物取引業者の場合人々のくらしの基盤となり、「高額」で「貴重な財産」を扱わせていただいていることから社会からの信頼を特に重視しなければならず
「コンプライアンス」の必要性が高いと考えます。ミスミは宅地建物取引業者として約3年ですがほとんどの物件を仲介業者さんにお客様をご紹介いただいていますがたまには直接ご連絡をいただきお会いすることがございますが、ほとんどの人が現在ローンの返済中であきらかに自己資金も無かったり、個人の信用情報でご相談にのりにくい人がおおいように思われます。
ゆたかさを求めるのは誰しも同じだと思いますが収入とのバランスを考え、途中で挫折しない身の丈にあった計画を考えて
決断いただきたいと「足掛け・腰掛け・よだれ掛け28年」の私は思います。

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2008年03月19日

うえむらのこと 3

私が不動産屋になったきっかけは運命づけられていました。熊本を離れ父親が勤務していた凸版印刷大阪工場にコネで入社し、花形の製販課に配属して頂きました。
原画に忠実さが要求される部所で印刷にかかる前に何回もテストされ、OKが出て始めて印刷される訳でやりがいが有りましたがたびたび有名なデザイナーや写真家が校正に訪れ憧れていました。
グラフィックデザイナーになるため退社して勉強しました。卒業後あちらこちらの工房を渡り歩き6年後Uアドとして独立。元勤務していた凸版印刷からも注文があったのですが金銭的に苦労していました。
ある日のこと新聞で初任給10万円で川西の建設会社で企画室長の募集広告が目に留まりダメもとで早速応募してみることにしました。
その頃の10万円は相当値打ちがあり、近所にあった銀行の支店長クラスでも7万円ぐらいでした。面接が済んで3日後に採用の通知があり、小躍りしました。その頃のボーナスも平均100万の会社で破格の扱いでした。
田中内閣の「列島改造」などをへて川西も大手の開発業者が参入し、発展を見越して仲介業者が乱立し、だんだんとセアが狭くなりそれから「バブル」があり、
バブルがはじけ現在に至る訳です。わたしのブログ「儲けいろいろ」をお読みになればその頃が伺うことが出来ます。
  


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2008年03月17日

うえむらのこと  2

父はその頃東京から冬と夏の休暇を10日間づつとって帰るのですが小さな駅のホームに下り立つ父親を見て小躍りするほど嬉しいものでした。つかの間の家族が揃うわけですから。遠い街まで映画を見に連れて貰ったり、食堂でチキンライスを食べさせてもらったり(田舎では食べられない珍しい食事)帰りの汽車の中では父親に寄りかかって寝ていました。
夏の休暇では川で魚釣りを教えてくれました。私が釣り好きなのはこのせいです。この父も私が5年生になった頃病に倒れ、定年を前にして会社を辞めて帰ってきました。別の場所に土地を探して家を建て、新たな生活を始めました。園芸と養鶏を始めたのですがなにしろ素人でうまく行かず家を改造して衣類の販売を始めこれがずっと生活の支えになりました。父もずいぶん回復し、おかげで進学をさせてもらいました。昭和35年に卒業すると同時に父親が勤めた会社に就職する為大阪へ来ました。母親からの手紙には度々「辛かったら帰ってきなさい」と書いて有りましたが「なにくそ」と思って働いてきましたがこれがよかったのか神のみぞ知るよしも有りません。おかげさまで今では子供を3人恵まれそれぞれに孫が5人います。
ふるさと
うさぎおいしかのやま こぶなつりしかにかわ
ゆめはいまもめぐりて わすれがたきふるさと

いかにおわすちちはは つつがなしやともがき
あめにかぜにつけても おもいいずるふるさと

こころざしてはたして いつのひにかかえらん
やまはあおきふろさと うみはひろきふるさと  続きを読む


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2008年03月16日

うえむらのこと  1

わたしは昭和17年に東京で生まれましたが3才の時、父親の故郷「熊本」に母と2人で引っ越すことになりました。父親は仕事の都合で東京に残りました。母親は見ず知らずの土地に行く事をよく決心できたと思います。戦後の混乱時でしかも食糧難の事情から相殺できたのだと思います。男性のような気性を持ってもいましたからでしょうか。引揚者の人と満員列車で母親の背中におぶさり出発したことが思い出されます。熊本に着いてまもなく母親の背中で大きい「キノコ雲」を見ました。これが昭和20年8月9日長崎に米軍が落とした原子爆弾でした。幼い私でも鮮明におぼえています。与えてもらった住まいはふるぼけた納屋を改造した和室2間と土間に置かれた炊事場に水瓶(井戸がなかったのでもらい水)それに狭い土地でした。風呂も近所へ借りに行きました。母親は狭い敷地に豚を飼っていました。餌は近所から出る残飯、豆腐やさんから出るオカラをリヤカーをひっぱって回集して育てました。生まれたての子豚はピンク色で可愛く、布団で共に寝たこともあります。夜になると近所の風呂をお借りするため暗い夜道を提灯片手に行くのですが夜空は月といっぱいの星が輝き流れ星が綺麗だった事が思い出されます。母親は大柄の方で気性も男性的でした。日銭稼ぎに近所の農家で作った畳表を遠く鹿児島方面に出かけました。よくご近所に私は預けられたこともありました。しかしやさしく私の勉強も見てくれました。しつけは厳しく悪ガキの私はピリピリしたものです。素手でホホを殴られると迫力がありました。豚が成長するとやがて肉屋さんがトラックで引き取りに来るのですがその時は可愛そうでした。田舎は農村地帯だったため遊び場所は田んぼや川、それに神社とお寺でした。母親もいっしょになって川に出かけていっしょに泳ぎを教えてくれたり、小鮒つりをしたものです。その頃の川は馬の洗い場でもあり、洗濯場でもあり、野菜の洗い場でもあり、子供にとっては釣りや水泳をする場所でもありました。 つづく  続きを読む


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2008年03月16日

おめでとう!!!

今朝のスポーツニュースで「上村愛子」がスエーデンで行われた女子ヂュアルモーグルでまたまた優勝したとの事だ。
伊丹市民は盛り上がって入るでしょうネ。若い頃六甲山スキー場で一度だけ滑った事があるが平らなところでもスッテンコロリン
だった私にとってジャンプ競技もそうだが華麗で迫力あるナー・・・おめでとう!私は試験ですべったり、契約がすべったりはあるけど・・・自慢にナラナイネ!
  


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2008年03月15日

携帯電話愛好家選手権大会

最近、携帯電話の普及率も増加しているが「歩きながら」「階段を上り下りしながら」「交通機関を利用しながら」「自転車に乗りながら」の技術がますます向上しているように思う。
これらの関連事業会社はPRのためにいっそのこと競技場で日頃の訓練の成果を競争してみては?
その1、歩行者グループは携帯電話を掛けながら特設階段を何箇所
     か上り下りして長距離歩行する。
その2、自転車グループは愛用のチャリンコを持ち込み携帯電話を
     掛けながら専用道路に見立てたラインを一気に走らす長距
     離走。

優勝者には「こまったものだ大賞」として「保険」を贈呈する。
  


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2008年03月15日

オヤ?サイダー其の2

農場ビルの話だが<農業特区>をつくり法人化する。家畜の<糞>などは肥料としても使えるが燃料にもなる。ビルの屋根はもちろん壁は<ソーラーパネル張り>、<風力発電>も可能だ。トユや地表で収水した<雨水>は一旦地下の貯水槽で保存して利用する。
話は別だが松が松食い虫によって枯れているが<アカシヤモリシマ>に植え替えると良い。この木の特徴は成長が早く、皮は<タンニン>が取れる。根を張るから保水効果もあると某大学の先生にお聞きした事がある。
もう一つ。<マツタケ>は現在のところ研究段階だが近い将来生産できると確信している。わたしは新潟まで行って実際この目で確かめた。オガクズの中から茶色のクレヨンが立っているようだった。
しかし大量に生産され、年中食えると値打ちが下がってしまう。
  


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2008年03月14日

オヤ?サイダー

わたしは「野菜はそれぞれに香りがある」ものだと思う。田舎から出てきた私がまず驚いたのはまづ「きゅうり」。細くて小さいのに店頭で売られていたことだ。
田舎では太さは5センチ以上長い物で30センチから40センチまっすぐなものから反っているものもあった。自然とはそういうものだと理解していた。
自分で栽培すると分るけど「トマトも独特の香り」がするものだがまったく香りがない。種類にもよるのだが野菜の葉っぱに虫が食べた形跡がない。今の子供もそうだし30才から40才ぐらいの人達もそうかもしれないが、それぞれに収穫時期があるけど8割、9割年中食べることができると季節感がなくなった。
これだけ時代が変わると主食の「お米」や「野菜」も近い将来10階建高層ビルの田んぼで人工的に収穫可能になる気がする。「鶏」も「豚」も「牛」も可能かもしれない。食料の自給率も上がると思う。
  


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2008年03月11日

人生いろいろ

わたしは熊本の八代で育ちました。八代は焼酎・和室の畳表(イ草)やスイカやみかんの産地として知られています。まだあります。演歌歌手の「八代亜樹」さんの出身地です。大阪へ出て来たのが昭和の30年代、大阪駅にバッグと風呂敷包みをもって一人降り立ったとき駅前のビルの多さに驚きと一抹の不安を覚えました。印刷工場で働く事になったのですが、熊本弁で話すとよくからかわれました。
職場の先輩が大阪の地名を漢字で書き込んだ紙を渡され、なんと読むか答えるように云われたのですが十三は「じゅうさん」
御幣島は「ごへいしま」立売堀は「たちうりぼり」丼池は「どんぶりいけ」・・・。
高校生時代は少々不良も経験はしましたから少しは酒を飲んだ事はありましたがほんのいたずら程度。それなのに「焼酎で鍛えとるやろ!今夜は付き合え!」と会社の近くにあった居酒屋で酒を飲まされ、二日間会社に出れなくなった事が思い出されます。父親がお酒が好きだったDNAが引き継がれていたのか、50代ぐらいまでよく飲みましたが体を壊してしまい、少量になりました。
9日に尼崎ホップインで「尼崎熊本県人会」に知合いの人が誘って頂いたので始めて出席しましたが70歳から80歳の方が多いのに驚きました。30年、40年前なら参加者も多分多かったに違いありません。当たり前ですが息子さんや娘さんは尼崎が生まれ故郷。兎追いし、かの山・・・今頃あるはずもありません。小さい頃にあった風景がよみがえりました。誘ってくださってありがとう。
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2008年03月11日

やっぱり

昨夜は尼崎あきんど倶楽部の定例会に出席した。みなさんのお顔を見ると全員「えびす顔」。やっぱりお金儲けが上手だと感じた。ミスミもあやかりたい。 うえむら

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2008年03月09日

熊本県人会

きょうは尼崎市熊本県人会に出席した。とくに熊本各地の民謡や踊りが懐かしかった。
最後に「火の国旅情」という歌を唄った。

阿蘇は火の山 空の涯
何を祈って 吐く煙
遠い神代の愛の詩
邪馬台国に ながれてる
ながれてる ふるさとよ

ミスミコーポレーション 
うえむら
  


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